辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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 盗賊の女神


 頭から布を被ったまま待機していたレックハルドは、すでに作戦の失敗に気づいていた。
 最初から、これはまずいと思ってはいたのだ。大体作戦からして馬鹿げている。こういう大それた盗みを昼間に行うこと自体、レックハルドは反対だったのだ。追い立てる犬の声がやかましい。
 どうやら、ハザウェイ家は、家に私兵を飼っているらしい。それで、家を守っているようだった。ヒュルカではかなりの資産家のハザウェイ家だ。それぐらい予想してしかるべきだった。
 足下に矢が飛んできた。その先がべっとりしているのは、痺れ薬か何かの毒がぬられているからなのだろう。向こうから、ふと、自分を呼ぶ声をきき、レックハルドは顔をちらりと上げた。
「レック! ちょっと手を貸せ!」
 先に進んでいた仲間の一人が、犬に囲まれて必死に逃げている。それが自分を見て、助けてくれと言っているのはすぐにわかった。レックハルドは、冷淡にそれをみやり、背を向けて走り出した。
「レックッ! てめえっ!」
 後ろから非難に満ちた声が聞こえたが、レックハルドは軽く振り返っただけだった。
「ハッ、つきあってられっかよ! 死ぬなら一人で死ね!」
 冷たく言い放ち、レックハルドは走り出す。後ろから、地獄に堕ちろ! と呪いの声がふりかかるが、彼はけしてためらわない。
「オレが同じ立場でも、そうしただろうがよ!」
 知らず、口許に嘲笑いが浮かぶ。いつものことだ。別に心は痛まない。
 そもそも、組みたくて組んだ仲間でもないのだ。ただ、今回の盗みに際して、組織の上の方が、彼の能力を買って勝手に組み入れたにすぎない。それで、裏切るも裏切られるもないだろう、とレックハルドは冷たい心で思った。
 大分喧噪から離れていた。レックハルドは一度そこで立ち止まる。周りは木々と草花が茂っていた。
 壁の中に入ってしまっているが、それにしても大きな屋敷だ。近くの森と庭がつながっているので、その辺にきているのだということはわかるのだが、どうやって逃げたらいいものか。
「まずいな、……迷ったか?」
 レックハルドは、少し考えるようにした。念のために、顔には布を被って容貌をかくしてはいるから、一度逃げてしまえば問題はないのだが、捕まったらどうしようもない。
「さて、どうするか……」
 戻れば捕まるだろうし、かといって闇雲に進むわけにもいかない。と、ふいに、後ろで足音が聞こえ、レックハルドは慌てて茂みの中に走り込んだ。だが、一瞬遅かった。
「どうしたの? そこに誰かいるの?」
 女の声が聞こえ、明るい色の服が太陽の光に映えていた。
 まずい、と慌てて逃げこもうとしたが、逃げるには時間がない。茂みに半分身を隠したまま、レックハルドは相手を伺った。若い娘だ。赤っぽい髪の毛が、妙に印象的だった。
「ええ……迷い込んでしまいまして……」
 不審だな、と思いながら、レックハルドは顔を見せないように伏せ、そう言った。女はこちらに近づいてきた。
「まあ、そうなんですか」
 それは、お困りでしょう、という女の声に警戒心はない。これは使えるかもしれない、そうレックハルドは思った。 
(ちょうどいい。この女を騙してどうにか出口を聞き出して……)
 あるいは脅すことも必要だろうか。レックハルドは、腰の短剣を握ろうとした。だが、ふと、娘の明るい声が聞こえた。
「ここは、森と接しているから、そういう方も時々いらっしゃるの」
「えっ、あ、ああ、そうです。も、森の方から迷ったんです」
 優しい声色が突然そんなことをいったので、思わずレックハルドの手は短剣から離れた。どうしようかと迷ったが、レックハルドはなぜか短剣をにぎる気をなくしていた。それは、娘の声には一分の敵意もなかったからである。それに、この声は、闘争心とかそういったものをなくしてしまうものだった。
「まあ、それはお困りでしょう。また、今日は悪いときにいらっしゃったのね……」
 若い女はおっとりと首を傾げた。長くてくるりと巻いた髪の毛が、ひとふさ肩から落ちるのが見えた。
「本当は、お茶でも……とお誘いしたいんですが、今は、盗賊が入ったといってお屋敷中大騒ぎなの。間違えられると厄介でしょうし、このまままっすぐに走ってください。そうしたら疑われることもないと思いますわ」
「えっ、ああ、は、はい……」
(逃がしてくれるつもりなのか? この女……)
 変な娘というか、世間知らずというか。レックハルドは、何故か相手を信用する気になって、脅すだの騙すだの、そういうことをしようと思っていたことを忘れ去っていた。
 ふと、レックハルドは、ちらりと布の間から相手の顔をのぞき見た。彼もこの世間知らずな娘が、一体どんな顔をしているのかと気になったのだ。
 まず、目の大きな娘だ。と、思った。端正な美人というよりは、優しくて可愛らしい感じの女性だ。それなのに凛とした気品のようなものもあって、でも、全体的にはふわふわとした印象で。昔、草原にいた頃に、一度だけ見た外国風の写実的で優しい顔の女神像に少し似ているような気がした。そこにいるのは、少なくともレックハルドが今まで会ったことのないタイプの女性だった。
 その優しい表情に、気遣うような微笑がのっていた。最初、それを惹きつけられたようにみていたレックハルドは、その微笑が間違いなく彼一人のために向けられていることを知った時、思わず動転して慌ててしまった。顔を覆っていたせいで、彼の顔が急に赤くなったことに誰も気づいてはいないはずだ。ただ、何故か、ひとときもそこにいてはいけないような気がして、彼はそのまま走り出した。
「し、失礼します!」
「あっ! 待って! そっちは……!」
 慌てて駆けだしたレックハルドには、後ろからの声の続きが聞こえない。そのまま、娘が指さした森の中に逃げれば良かったのに、動転した彼はそのまま元来た道をもどってしまった。娘は何か叫んでいたが、走り去るレックハルドには聞こえない。
 目の前から犬の吠える声と矢の飛んでくる音が聞こえ、ようやくレックハルドは自分の間違いに気づいた。
「しまった! ……うっかりして!」
 再び、矢と犬の中に突っ込んでしまったが、レックハルドは引き返さなかった。引き返せば、先程の娘と鉢合わせしてしまう。それだけはダメだ。
「畜生! このまま逃げ切ってやる!」
 レックハルドは、森の中に逃げ込んで、そのままつっきることにした。一見冷静な頭とは裏腹で、心の中はひどく慌てていた。 
 正直、自分でもどうしてこんな風に慌てているのか意味がわからない。ただ、一つ言えるのは、自分は今まであれほど優しい笑みも、綺麗な目も、多分見たことがなかったということだけだ。
 美人を見たことはかなりある。実際、言い寄ってきた女もいるにはいるし、あれだって世の中では結構な美人に入るだろう。ただ、あんな風に、自分に目を向ける娘はいなかった。どんな綺麗な娘でも、小汚い盗賊で、裏切りの常習者の彼に一度は軽蔑の目を向ける。そうでなくても、不審そうに睨む。言い寄って来る女の目には、時に別の恋人への当てつけの色が見えることがある。
 でも、あのマリスという令嬢は、そのどれでもなかった。ただ、心配そうに彼のことを見ただけで、けして彼のことを汚れた物を見るように見なかった。こんな不審で小汚い自分なのに、その目には、気遣い以外の他意はなかったのだ。
(あああ、どうしよう!)
 レックハルドは、絶望的な気持ちになった。
 よりにもよって、金持ちのお嬢様をみて、こんな気分になるなんて。なんて分不相応な。
「オレ、あの人に……」
 レックハルドは、額を抱えながら走った。もっと自分が鈍ければよかったな、と彼はふと苦笑した。この感情が、どういうものかを知らなければ、きっと今まで通りに生きていけた筈なのに。
「……無理だろう。……あの子がオレを見てくれるはずはないじゃないか」
 レックハルドはため息をつく。相手は、ヒュルカのお嬢様で、自分はただのケチな盗賊だ。日陰の商売をしていなくたって高嶺の花な彼女に、心奪われても自分にはどうすることもできない。今だってこうやって、仲間を見捨てて逃げている自分は、どう見積もっても彼女とは釣り合わない。暗い世界で生きている自分とは、住む世界が違う。あの清らかな目で見つめられるには、自分はあまりにも汚れすぎているのだ。どれだけ隠し通しても、きっと、いつか、自分の本性をさらけだしてしまうに決まっている。
 レックハルドは、すぐに諦めようとした。大体、追っ手に追われながら考えることではない。だが、どうやっても瞼の裏には先程の娘の姿がちらついて、離れてくれなかった。
(なんだか失礼な別れ方しちまったなあ)
 何故、ありがとうといえなかったのだろう。レックハルドは、そんな言葉すら出てこない自分が、何となく切なくなった。
(もう一度、一言だけでいいからまともに話ができたら……)
 ふと、そう思うレックハルドの心は、妙に熱くなっていた。
 正直、今まで、自分はどうなってもいいと思っていた。草原を逃げ出して、そしてヒュルカに入ってから、その気持ちは酷くなった。都会のヒュルカは住みやすかったが、彼の心はますます荒んだ。
 そして、このままくだらない盗賊の生活をして、仲間を裏切って、それで報復でもされて、きっと、いつか、街路の隅で一人淋しく死ぬのだろうと思っていた。別にそれでいいと思っていたのだ。自分には、それぐらいの惨めさがいっそのことふさわしいぐらいだと思っていたから。
 だから、今まで好き勝手生きてきた。仲間を信用する気になれなかったのも多分それで、仲間を捨てて逃げたのもおそらくそれだ。人間関係を作らなくても、自分は最終的にああなるかもしれないのだから、別に構わないと思ってきた。
 だが、あの娘の微笑を見たとき、レックハルドは絶対にこのままで死にたくないと思った。そして、あの娘となにか世間話でもできる仲になれたら、と思うと、生きる希望が初めて彼の心にあふれたような気がした。
 別に恋人になれなくても構わない。ただ、彼女と堂々と会えるようになりたい。そうなれるとしたら、どんなに幸せだろう。
(だったら、今の生き方じゃダメだ!)
 レックハルドは、ふと目の前に光が見えたような気がした。
(盗賊をやめよう! そうして、カタギになって、何か立派な人間になろう。名誉と地位を手に入れて、それで、彼女に釣り合うぐらい相応しい人間に!)
 どうせ、最初から、この生活に嫌気がさしていた。もし、他に方法があるのなら、そうした方がきっといい。どうせ、半分捨てたような人生だったのだから、失うものなどなにもない。
 目の前に壁がせまる。息を切らしながら、レックハルドは壁に手をかけた。後ろからわめき声が聞こえるが、もはやそんなものどうだっていい。必死で壁を乗り越え、着地する。それでも飛んでくる矢の中をとにかく死ぬ気でかけぬけた。
 釣り合う人間になるなら、自分には何があるだろう。詐欺に盗みはもうだめだ。口が上手い他にあるのは、計算が早いのと、おそらく金銭の感覚が鋭いこと、そして、ピリスで見よう見まねで商売を覚えたことぐらい。
「商人か……。それは、意外といいかもしれない!」
 金の力は偉大だ。レックハルドの目に、わずかに希望が灯った。かつて自分は金で売られた。でも、それでその魔力が人よりわかるようになった。それを利用すれば、きっと金は彼に地位も名誉も運んでくれるに違いない。
 知らず、レックハルドには笑みが浮かんでいた。それは、彼がヒュルカにきてからほとんど浮かべたことのない嬉しそうな笑みだった。
「よし! こんな仕事すぐにやめてやる! 資金さえどうにかすれば、後はどうとにもなるさ!」
 レックハルドは、明るく言った。
 最初から失うものなどなにもない。だったら、手に入れるために何をしたってかまわない。たとえ命をかけることになったとしても、元からないような命だ。あの人ともう一度話ができるなら、死んだって構わない。なぜなら、今のままの自分は、半分死んでいるも同然だから。
 レックハルドは、そう決意すると、森を走り抜けながらやがてヒュルカの市街地へと逃げ戻っていった。


 その数日後、彼は突然ヒュルカの街から姿を消した。高利貸しから無理に金をかり、そのまま失踪したという話だけが、彼の仲間達に聞こえた。彼らがレックハルドのその後の消息を知るのは、彼が再びヒュルカの街に戻ってきてからである。

 


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©akihiko wataragi